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[九龍塘-5]★最後は簡単な歴史を
投稿者: Webcrew_01 掲載日: 2009-5-8(3985ヒット)

MTRの観塘線と東線が交わり、道路でも、高速道路1号線と7号線が交差し、新界(New Territories)の沙田(Sha Tin)と九龍をつなぐ獅子山隧道 (Lion Rock Tunnel)の入口と交通の要所としても重要な位置を占めているのが九龍塘(Kowloon Tong)。

最後は簡単な歴史を。時は1920年代。1920年で当時の香港の人口はすでに約65万人、1925年で約87万人でした(今でも日本で60万人以上の都市はそれほど多くありませんから、この時点での香港の人の多さというのがわかろうというものです)。香港政庁は九龍塘(Kowloon Tong)に住宅街の建設決めます。コンセプトは、住宅密集度が低く、緑を多くして、交通に便利で、今の又一城(Festival Walk)のような大規模店舗ではなく、中規模程度のお店が並ぶのを理想としたそう。容積率を0.6に定め、高さ3階までに制限したようです。そんな理由から開発当初は平屋が多かったと言われ、イギリス人の金持ちが住み始め、イギリスの地名にちなんだ道路名などがこのあたりに多くみられるのはそのためです。

これらの制限は、1928年に開港した旧啓徳(Kai Tak)空港の滑走路へのルートになることも頭に入れていたからでしょう。前回の書いた放送局と軍営、今回の交通の要所、そして啓徳空港…こうやって考えるとやはり香港は植民地だったということがよくわかりますね。イギリスはさすが植民地建設が手慣れているなという印象を受けます。

これらの制限は、1928年に開港した旧啓徳(Kai Tak)空港の滑走路へのルートになることも頭に入れていたからでしょう。前回の書いた放送局と軍営、今回の交通の要所、そして啓徳空港…こうやって考えるとやはり香港は植民地だったということがよくわかりますね。イギリスはさすが植民地建設が手慣れているなという印象を受けます。
(武田信晃著)

※The香港 掲載記事はこちら

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