過去3回にわたって?馬地(Happy Valley)の話をしてきましたが、最終回の今回は歴史についてです。
その名前の通り、谷間なので、東、西、南側は山に囲まれて、谷のように見えます。しかも谷底は、昔は湿地帯や沼地だったわけですから、利用価値が低い土地でした。街としては発展をしにくいところだったわけです。
1844年ごろ、イギリス軍はこのあたりに軍営を作り、マラリアなどの感染症に侵された軍人をここに送りました。当時はマラリアという病気は発見されておらず、原因不明の病気でした。治療法がないので、どんどん死者が増えていきますから、この土地を悪い場所ではなく良い土地であると思わせるために「快活谷Happy Valley」と名づけたのです。競馬場ができて“?馬地”の漢字も使われるようになりました。実はサッカーファンにならハッピーバレーという漢字はもう一つある、と指摘を受けそうなので、ここに記さないといけません。「愉園」もハッピーバレーと英語では発音されます。養和医院が建設される前は、愉園遊楽場というものがあり、今もあるプロサッカーチーム“愉園”の拠点がここにあったのです。
話は戻り、軍営だったこの場所は、その後、コラムの1回目に書いたハッピーバレー競馬場が建設されます。そうなると、徐々に街としてゆっくりと成長し始め、黄泥涌村という小さな村を形成します。ちょうと日本軍とイギリス軍が太平洋戦争中に戦いを繰り広げた黄泥涌峡(Wong Nai Chung Gap)の麓ということでこの名前がつきました。ここには中国で9番目に名字が多い“呉”と43番目に多い“葉”が多く住み、農業や酪農が営まれました。そしてどんどん人が住みだし、今では、リッチな人が多く住むハッピーバレーが形成されたのです。(武田信晃著)
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