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[尖沙咀-6]アヘン戦争の引き金に
投稿者: Admin 掲載日: 2008-12-13(667ヒット)

過去数回、“ハコモノ”などの建設物のコラムが続いたので、TSTの最終回の今回は違う話を。清朝は英国とのアヘン戦争に敗れたために香港を割譲せざるを得なかったわけですが、そのアヘン戦争の引き金は尖沙咀で起こりました。

1939年7月7日、英国の商船2艘が尖沙咀の波止場に着きます。酒を飲んで酔っ払った英国商船の乗組員が林維喜という漁民を撃ち殺し、数人にけがをさせました。清朝側は犯人の引き渡しとアヘンの取引中止を要求しましたが、アヘンで稼ぎまくっていた英国は無論、拒否。そして清と英国が軍事衝突し、翌年、英国は清に公式に宣戦布告しアヘン戦争が始まります。第1次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件もそうですが、“人が殺された”ことがきっかけで戦争がはじまったという意味では、アヘン戦争も第1次世界大戦も同じです。

 尖沙咀は、明の時代にはすでに村落として存在し、東莞へ物資を船で運ぶ拠点となっていました。英国の支配下になった直後は、外国人が住む高級住宅街として発展し、20世紀になるまで中国人は住むことができなかった“特別行政区”でした。

 最後に、香港で最も有名な通り、弥敦道(Nathan Road)についてちょっとだけ書きましょう。全長3.6キロのこの道は英国政府の手によって1861年に完工し、第5代総督Hercules Robinsonの名前を取って、羅便臣道(Robinson Road)と名づけられました。ですが、香港島にも同じ通りがあってややこしいということで1909年に第13代総督、Matthew Nathanの名字を使うことにしたわけです。機会があれば書こうと思いますが、紛らわしいという理由から改名した通りは香港に結構存在しています。(武田信晃著)

※The香港 掲載記事はこちら

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